アイアイの大冒険 第五章26
警備室の空気は、張りつめたまま動かなかった。
だが、その中心に立つメリウスの存在だけが、異質だった。
「……学長、これは規則違反です」
ヘルマンが低く言った。
その声音には、敬意と反発が入り混じっている。
「えっ!メリウスさんって学長だったの?すごい!!」
アイルは今の状況に関係なく手首を拘束されたまま飛び上がって興奮した。
「ちょっと黙っていろ!ウサギ族の娘!」
アイルの興奮にいら立つヘルマンが抑え込むように言い放つ。
メリウス学長は、少しだけ厳しい表情を見せ、ヘルマンに向き直った。
「ヘルマン・ルーグレイ。すべての”関係”には先立つものとして『尊重』と『尊敬』が必要だ。それは相手が何者だろうと関係ない。私はそう思っている。」
そう言ったメリウスはヘルマンをまっすぐに見つめていた。
「………先程の彼女に対しての罵倒じみた発言を撤回いたします…」
ヘルマンは伏し目がちに答え、アイルの目をみて一瞥した。

「しかし、繰り返しますが、彼らの行動が規則違反に当たるのは事実です」
「それは承知しているよ。学院内でのことで私が『知りたいこと』は、『知れる』ようになっている。そのことは君もよく知ってるだろ。ヘルマン」
メリウスは穏やかに答えた。
穏やかさの中に「恐ろしさ」さえ感じられるようだった。
「だから、学長の私が来た」
その一言で、カラス族の警備員たちの背筋が、揃って伸びた。
学長――その肩書きは、この場の誰にとっても重かった。
「学院の規則は、秩序を守るためのものだ。 だが、秩序は目的ではない。あくまで手段だ。学院にとって『秩序』は『よりよい研究』のための一条件に過ぎない」
メリウスは、ゆっくりとアイルの方へ歩み寄る。
「この子たちは、意図的に侵入したわけではない。
『転位事故』――それも、極めて異例な形で、ここへ辿り着いた」
「……意図的でないかどうかは証明できません」
ヘルマンが問う。
メリウスは、ほんの少しだけ視線を伏せたあと、
胸元のモヤモヤへと目を向けた。
「そう。だから、『意図』を知りたければ君のように『尋問』するしかない。しかし今回、転位に『異物』が干渉している可能性がある」
一瞬、警備室がざわつく。
メリウスはモヤモを指して言った。
「『神族』……という言葉が、学院内で立ったようだね」
その言葉に、コルヴィンがびくりと震えた。
「だが――」
メリウスは、きっぱりと言った。
「神話的な意味での『神』かどうかは、今は重要ではない。
重要なのは、どうやったかわからないが、この存在が学院の封鎖機構に『干渉可能』だという事実だ。その彼が鉄格子や扉を開けているのを私は『見た』」
ヘルマンの片目が、わずかに見開かれる。
「それが意味するのはひとつ。
この件は、警備案件ではない。研究案件だ。彼が『転位事故』に何らかの影響を与えている可能性がある。」
沈黙。
「そして、研究案件の最終判断権は――」
メリウスは、ヘルマンを正面から見据えた。
「私にある」
しばらくのあいだ、誰も口を開かなかった。
やがて、ヘルマンは静かに息を吐く。
メリウスは続けた。
「そして、この子の研究の一環として、事情を聴くためにアイルたちを研究棟に招きたい。というのが私の『判断』だ」
「……了解しました。
警備部としての拘束は、ここで解除します」
「ヘルマン。ありがとう。君は職務を全うした。信頼できる男だ。これからもよろしく頼むよ」
拘束具が外される音が、警備室に響く。
アイルも、ようやく両手を自由にした。
「ありがとう……ございます……」
シーカーが、思わず頭を下げる。
メリウスは首を横に振った。
「礼を言われることではないよ。君たちは、ただ『巻き込まれた』だけだ」
そして、少しだけ声を落とす。
「……ただし」
全員の視線が、再び集まる。
「この学院に来てしまった以上、何もなかったことにはできない」
アイルは、静かにうなずいた。
「うん。……わかってる」
メリウスは、その返事を聞いて、ほっとしたように微笑んだ。
「なら、話は早い。まずは正式な保護対象として、君たちを迎え入れよう」
警備室の緊張が、ようやく解けはじめる。

「今日はもう遅い。詳しい話は、明日にしよう」
そう言って、メリウスは振り返った。
「部屋を用意させる。……今夜は、安心して休みなさい」
その言葉は、命令や管理ではなく、確かな居場所の宣言だった。
学院の奥深くで、新しい歯車が、静かに噛み合いはじめていた。

