アイアイの大冒険 第一章⑧

第一章

王都ザラーリンの中へ足を踏み入れたとたん、空気が変わった。

外の風の流れとは違う、どこか止まったような空気。街の中心部に近づくにつれ、その静けさは重さを帯びていった。

朝焼けが街の壁を淡く染めていく。瓦屋根の家々、高く積まれた石垣、道ばたの水桶の水面に映る光。さっきまでは夜だと思っていたのにいつの間にか朝が来た。そして、美しいはずのこの朝の景色には、どこか薄い膜が張ったような違和感があった。

歩く人々の姿があちこちに見えるのに、誰も声を発さず、誰も人と目を合わせようとしない。

皆が手に持ったデバ石に、熱心に視線を注いでいる。まるでそれだけが命の灯であるかのように、視線は石だけに向かっていた。

パン屋の前を通り過ぎると、扉の陰から、パンを焼くいい匂いが流れてきた。 しかし中では、老いた犬族の職人が、焼き上がったパンをトレイに並べながらも、目は片時も自分のデバ石から離していなかった。

「小麦粉残量:72% 発酵時間予測:平均値より7分短縮傾向 次回焼成モード:標準II型」

その声は彼自身のものというより、ただの読み上げのように聞こえた。

アイアイは小声でつぶやいた。
「なんか、気味悪い……まるで人じゃないみたいだ」

グリグリもうなずいた。
「魂が、石にしまわれちゃった…みたい……」

そしてグリグリは、さらに小さな声でつぶやいた。
「……ごめん。」

いつものようにグリグリは誰の、何に、向けてだかわからない謝罪をした。そう思ったアイアイはグリグリに言った。

「グリグリ。『ごめん』って言葉は大事だけど、使いすぎるのもよくないよ。自分が悪いか悪くないってことは、ちゃんと自分で確かめておかなきゃ。それをせずに、すぐに『ごめん』ってだけいっちゃうのもなんだかよくないことの気がするよ」

グリグリはアイアイの言葉に目を丸くして答えた。
「僕は悪くないってこと?」

「悪いか悪くないかは、言葉を出す前に自分でちゃんと確かめておかなきゃって話だよ。」

グリグリは「ふーん」とだけ言って黙り込んでしまったので、アイアイはそれ以上何も言わなかった。

角を曲がった先で、古びた納屋を見つけた。扉は半分開いていて、どうやら誰も使っていない様子だった。

ふたりはそっと中へ入り、古い干し草の上に腰を下ろした。

アイアイは深く息を吸った。 王都へ着いたというのに、ここが「目的地」だという実感がわかない。 何かが始まる気配だけが、遠くでずっと待っている。

グリグリは納屋の隅のほこりまみれの棚を眺めていた。

「ここ、誰も来ないのかな。なんか……ちょっと落ち着く」

「……ぼくも、少し休みたい」

アイアイはリュックを下ろし、母のスカーフに指をそっと触れた。

「行こう。ちゃんと見よう。この国で何が起きてるのか」

そうつぶやいた声は、朝の光のなかで少しだけ震えていた。

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納屋を出たアイアイはまぶしい光に目を細めた。ザラーリンの街はすっかり明るくなり、朝を抜けていた。それでもザラーリンの街は早朝と変わらず、アイアイが想像していたそれよりも静かだった。

アイアイが想像していた“王都”は、人の声と音と明かりが渦巻く場所だった。
アイアイは改めてザラーリンの街を眺めてみる。そこにあったのは、妙に整った、妙に無音の街だった。早朝にくらべると出歩いている人の数はかなり多くなっている

だが静かだ。明るさの際立つ街並みにも、早朝とかわることのない静けさがあった。

整列された家々。まっすぐな道。動く看板も、音楽もない。

通りを歩く人々も、皆、黙っていた。
手元のデバ石を見ながら、何かの指示に従うように、ぴたりと足を止めたり、歩き出したりしている。

「……なんだか、やっぱり気味が悪いくらい、静かだね」

「みんな、しゃべってない……」

グリグリが、小さな声で言った。
すれ違う誰もが、ふたりに目を向けない。デバ石の画面だけを見つめている。

ひとり、若い女性のような狐族の住人が、道端で立ち止まっていた。
ふたりが近づくと、彼女は小さな声で、ぽつりと言った。

「今日の食事は、B案が推奨されました。お肉と野菜をバランスよく、効率良好です……」

アイアイは眉をひそめた。

「……自分の意志じゃなくて、石の言うとおりにしてる?」

そのとき、別の住人がふらりと店から出てきた。
手に持った包みを見ながら、こう言った。

「この素材は、今週の推奨行動と一致しています。今は、収穫支援より、情報保持が優先です……akpを」

どの人も、自分の言葉をしゃべっていない。
まるで、ただ石の文章を読み上げているだけのようだった。

「……デバ石の“正しさ”が、全部になっちゃってるんだ……」

アイアイの声は、風に消えそうなほど小さかった。

「……これって、便利なんじゃなくて……」

「デバ石の考えることがその人のすべてになってるね…」

そして、グリグリはまた誰の、何に対してかわからない「ごめん…」を、つぶやいた。

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