落下する、というよりも――浮かんでいた。

重力の感覚が消え、足も腕も、身体そのものの輪郭さえ曖昧になる。
光だけが流れ、色だけが揺れ、耳の奥で風のようなものが鳴った。

やがて――ふわり、と何か柔らかいものが全身を包んだ。

「……っ、ん……?」


アイルは目を開けた。

そこは霧丘の塔とはまったく違う場所だった。

天井は高く、薄い青光りの板がかすかに震えている。
床は磨かれた石で、円を描く文様が何重にも刻まれていた。
空気は冷たく、静かで、どこからか書物の匂いがする。

「……ここ、どこ?」

ひんやりとした空気が頬を撫でる。

アイルの背で何かがが、もぞっと揺れた感覚があり振り向くと、
モヤモヤがふわりと顔を出した。

「……だいじょうぶ? ここ、うーん。なんだぁ?…知らない場所だよ」

モヤモヤは光を弱くゆらし、アイルの肩にしがみつくように寄り添った。

そのとき――

「ひゃっ!? だ、だれ!?人!?えっ、どういうこと!?」
大げさな悲鳴が反響し、アイルは振り返った。

出入り口に立っていたのは、
純白の羽を持った鳥族――ツル族の青年だった。

細い体つき、白衣に似たローブ。
胸元には銀色の紋章。

青年は慌てて胸に下げた記録板を押さえつつ名乗った。

「わ、私はコルヴィン・ナスタ、研究補助員です!
 あなた、転位導路室にどうやって!? まさか……転送事故……?」

「てんい……どうろ……室?」

アイルが聞き返すと、コルヴィンは気まずそうに視線を泳がせた。
「えっと、その……学舎の建物同士を結ぶ“移動用の部屋”なんです。
本当は研究者と許可者以外、誰も入ってこないはずで……」

アイルはとりあえず笑ってみせた。
「わたし、アイル。……迷子、なのかも。迷子になるのが…得意なんです」

コルヴィンはさらに焦った。
「ま、迷子!? いやいやいや、転位導路で迷子は前代未聞で……!」

彼が言葉を探していると、奥の扉が静かに開いた。

足音はゆっくり、しかし確かな重さがあった。

現れたのは、ローブをかぶったフクロウ族の年配の男。
深い藍色の外套に、銀の留め具。
姿勢はぴんと伸び、落ち着いた気品があった。

「コルヴィン君、どうかしたのかね?」

コルヴィンは勢いよく振り返った。
「は、はい!メリウス先生!転位導路室に……少女…少女が……!」

フクロウ族の男――メリウス先生とよぼれた男は静かにアイルを見つめた。

敵意ではない。
観察し、状況を理解しようとする、透明なまなざし。

アイルは自然と姿勢を正した。

「……あなたが、この導路に現れたのだね」
低くよく響く声だった。

アイルは頷く。
「はい。気づいたら……ここに……。本当に何もわからなくて」

メリウスは深く呼吸し、柔らかく頷いた。
「恐れることはない。ここはアストライア学術院――その転位導路室だ。
まずは怪我がないか、確かめさせてもらおう」

アイルの心臓が少しだけ軽くなった。
モヤモヤがその肩で光を震わせ、怖がるようにアイルの腕に寄り添う。

メリウスの視線がモヤモヤに止まった。

「……その子は?」

アイルはモヤモヤを包み込むように抱えた。
「友だちです。……大切な」

メリウスは一拍だけ考えてから、小さく頷いた。
「……そうか。では二人とも、こちらに」

柔らかい手つきで扉を示した。

アイルは息を整え、モヤモヤを抱いたまま光の射す廊下へ進んだ。

知らない世界の奥へ――
アイルは新しい世界に浮き上がっていた。何かを忘れている感覚がありながらも、メリウス先生に続いて部屋をあとにした。

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Hikasawa Kikori
3本柱!メインテーマは『犬・めし・小説』 スイス・ホワイト・シェパード「ラテ」と暮らしながら、時短で美味しい“パパ料理”を研究中。冷凍野菜を中心に、忙しくても作れるリアルな家庭料理を発信しています。 もうひとつの柱は、オリジナル小説『アイアイの大冒険』。AIと共に世界観を構築し、物語や挿絵を創りあげていく過程を公開中。 SNS運用・AI活用にも挑戦しつつ、日々の気づき、創作の舞台裏、ラテとの穏やかな時間を綴っていきます。 長崎出身。大学で東京へ。東京で結婚。家族と2年オランダへ。帰国後、広島で過ごす。