アイアイの大冒険 第五章⑭

第五章

落下する、というよりも――浮かんでいた。

重力の感覚が消え、足も腕も、身体そのものの輪郭さえ曖昧になる。
光だけが流れ、色だけが揺れ、耳の奥で風のようなものが鳴った。

やがて――ふわり、と何か柔らかいものが全身を包んだ。

「……っ、ん……?」


アイルは目を開けた。

そこは霧丘の塔とはまったく違う場所だった。

天井は高く、薄い青光りの板がかすかに震えている。
床は磨かれた石で、円を描く文様が何重にも刻まれていた。
空気は冷たく、静かで、どこからか書物の匂いがする。

「……ここ、どこ?」

ひんやりとした空気が頬を撫でる。

アイルの背で何かがが、もぞっと揺れた感覚があり振り向くと、
モヤモヤがふわりと顔を出した。

「……だいじょうぶ? ここ、うーん。なんだぁ?…知らない場所だよ」

モヤモヤは光を弱くゆらし、アイルの肩にしがみつくように寄り添った。

そのとき――

「ひゃっ!? だ、だれ!?人!?えっ、どういうこと!?」
大げさな悲鳴が反響し、アイルは振り返った。

出入り口に立っていたのは、
純白の羽を持った鳥族――ツル族の青年だった。

細い体つき、白衣に似たローブ。
胸元には銀色の紋章。

青年は慌てて胸に下げた記録板を押さえつつ名乗った。

「わ、私はコルヴィン・ナスタ、研究補助員です!
 あなた、転位導路室にどうやって!? まさか……転送事故……?」

「てんい……どうろ……室?」

アイルが聞き返すと、コルヴィンは気まずそうに視線を泳がせた。
「えっと、その……学舎の建物同士を結ぶ“移動用の部屋”なんです。
本当は研究者と許可者以外、誰も入ってこないはずで……」

アイルはとりあえず笑ってみせた。
「わたし、アイル。……迷子、なのかも。迷子になるのが…得意なんです」

コルヴィンはさらに焦った。
「ま、迷子!? いやいやいや、転位導路で迷子は前代未聞で……!」

彼が言葉を探していると、奥の扉が静かに開いた。

足音はゆっくり、しかし確かな重さがあった。

現れたのは、ローブをかぶったフクロウ族の年配の男。
深い藍色の外套に、銀の留め具。
姿勢はぴんと伸び、落ち着いた気品があった。

「コルヴィン君、どうかしたのかね?」

コルヴィンは勢いよく振り返った。
「は、はい!メリウス先生!転位導路室に……少女…少女が……!」

フクロウ族の男――メリウス先生とよぼれた男は静かにアイルを見つめた。

敵意ではない。
観察し、状況を理解しようとする、透明なまなざし。

アイルは自然と姿勢を正した。

「……あなたが、この導路に現れたのだね」
低くよく響く声だった。

アイルは頷く。
「はい。気づいたら……ここに……。本当に何もわからなくて」

メリウスは深く呼吸し、柔らかく頷いた。
「恐れることはない。ここはアストライア学術院――その転位導路室だ。
まずは怪我がないか、確かめさせてもらおう」

アイルの心臓が少しだけ軽くなった。
モヤモヤがその肩で光を震わせ、怖がるようにアイルの腕に寄り添う。

メリウスの視線がモヤモヤに止まった。

「……その子は?」

アイルはモヤモヤを包み込むように抱えた。
「友だちです。……大切な」

メリウスは一拍だけ考えてから、小さく頷いた。
「……そうか。では二人とも、こちらに」

柔らかい手つきで扉を示した。

アイルは息を整え、モヤモヤを抱いたまま光の射す廊下へ進んだ。

知らない世界の奥へ――
アイルは新しい世界に浮き上がっていた。何かを忘れている感覚がありながらも、メリウス先生に続いて部屋をあとにした。

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