
丘を下りると、道はゆるやかな坂になっていた。
空はまだ高く、雲が薄く伸びている。昼の光は柔らかく、どこか遠くの街まで届きそうに見えた。前を行く白銀の背中――スペーラーは、歩幅は落ち着いていて、足取りは迷いがない。
アイルとシーカーは半歩下がって並び、彼の背を追った。
「ねえ、スペーラーさんの“詰所”って、どんなところ?」
アイルが横歩きになって顔をのぞかせる。
「境界線上に建つ監視拠点です。兵は少数、書類は多数、食事は可。概ね、その三つで説明がつきます。」
「書類“多数”……あんまり聞きたくない情報だな……」
シーカーが小さく嘆息した。
「でも“食事は可”は良いニュース!」
アイルの耳がぴょこんと立つ。
スペーラーはちらりとだけ視線を寄越し、淡々と言った。
「味の評価は個人差があります。期待しすぎると、がっかりします。”可”とは、そういう評価です」
「ふーん、食べてみないとわかんないもんね。ワクワクするよ。」
「私が初めて食べたころよりは、だいぶ食べれるようにはなりましたけどね……」
「あーわかります。初めの頃はなんとなく味を感じる気がするなあって程度でしたよね。それでも、みんな、ありがたがっていましたよね」
シーカーは嬉しそうにスペーラーに賛同した。
それから三人はこの世界の食べ物について話し合いながら、のどかな草原を進んだ。
風の音、虫の羽音、遠くで鳴く鳥。
それらが少しずつ混じり合い、静かな音楽のように響いている。
途中、小さな橋を渡ると、放牧地の柵が見えてきた。
一頭のヤギが柵の外で立ち往生している。
「出ちゃったのかな?」
アイルは駆け寄り、しゃがみこんだ。
「おーい、大丈夫? どこから出たの?」
ヤギは人懐っこく鳴いて、アイルの袖をかじった。
シーカーが肩をすくめる。
「また寄り道か……。」
「放っておけないじゃん。」
アイルは手際よく木柵を持ち上げ、ヤギを中へ戻した。
その様子を見ていたスペーラーが、淡々と口を開いた。
「あなた、何でも楽しそうですね。」
アイルは立ち上がって笑った。
「だって、楽しいよ。世界がちゃんと動いてるって感じがして。」
「……はあ、そうですか」
スペーラーはわずかに目を細めた。
それが笑ったのかどうか、アイルにはわからなかった。
丘の向こうに、石積みの小さな塔が一本、空を突き刺しているのが見えた。
「見えてきました。あれが詰所です。」
スペーラーが指をさした。
「うわぁ……思ったより立派な建物だね」
「立派に見えるのは、とがっている塔だけで、あとは箱を転がしたような建物ですよ。」
またしても淡々とした返答に、アイルは吹き出した。
石畳の道に足音が響く。
塔のふもとまでたどり着いたとき、底には素朴な門があった。
門番のヤマアラシ族が欠伸をかみ殺し、槍を持ち直す。
「団長、お帰りなさい。トロトロット公国に栄光を!」
門番は背筋を伸ばして敬礼した。
「ふー…はいはいはーい」
号令を、低めの声で軽くいなしたライオン族の騎士団長は足早に建物に入っていった。
ヤマアラシ族の門番と目が合い、動きを止めていた二人はあわててスペーラーに続いて建物に入っていった。



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