
オイラーをのぞく三人には希望が見えていなかった。
ここから数分後には現実化するであろうウーセルたちの到達で、自分たちはどうなってしまうのかという想像が頭をよぎる。それは恐怖の想像でしかなく、今、このとき、気絶しているオイラーのことがうらやましくさえ思えた。
三人が絶望に沈む中、はじめに顔をあげたのはアイアイだった。震える拳をにぎりこみながらアイアイはゆっくりと声を上げた。
「……戻ろう。分岐か部屋……まだ見落としてるところがあるかもしれない」
確かにウーセルたちの足音はまだ遠い。迫ってくるのは確かだが、走り続けたアイアイたちと、ずりずりと歩いて迫ってくるウーセルたちの間には幾分かの距離はできており、完全に追いつかれるまでには、わずかな時間の余裕があった。
猫の使者は、行き止まりの壁や側面の壁を1回づつ叩いてから、ため息交じりに答えた。
「それしかないですね。ここの壁も都合よく壊れたりはしてくれそうにないですし…」
一行は半ば希望にすがるようにして暗闇の通路を引き返し始めた。それは、恐ろしいほどの数で迫って来るウーセルたちに、自ら向かっていく行為でもあった。
狭い石壁にランタンの明かりが滲み、影が幾重にも揺れた。誰もが呼吸を押し殺す。
「……ねえ、ほんとに道なんかあるの? なかったら……ぼくら、ほんとに……」
グリグリが震え声をあげる。
「探すしかないんだ。立ち止まったら…」
アイアイの声はかすれていたが、その瞳はただ前を見据えていた。
希望は薄い。分岐がある確証はなく、通路のどこかに部屋の扉が隠されている保証もない。
ただひとつ確かなのは――暗闇の奥から、確実に“あの波”が近づいてきているということだった。一歩進むたびに、全身に震えがくるようだった。次の一歩を何事もなく床につける保証もない。暗闇に向かう一歩ずつが一行の神経をすり減らしていくようだった。
猫の使者は背に負われたオイラーに目をやった。
「オイラー……お願いだ、君の耳で、なにか聞こえませんか? 分岐でも、空洞でも……」
だがオイラーは気絶したまま、答えは返ってこない。
「……だめか……」
猫の使者が小さくつぶやいたそのとき、背後でかすかな呻き声がした。
「……もっと……進んで……」
はっと振り返ると、オイラーが薄れた意識の中で、掠れ声を残していた。
「進めってこと!? この先に分岐があるのか!?」
アイアイが問いかけても、返答はなかった。オイラーの瞼は再び落ち、眠るように沈黙する。
それでも一行は、その言葉にすがるように前へ進んだ。
汗ばむ掌の温度、狭い通路の息苦しさ。歩みを進めども、分岐も部屋も見つからない。
焦燥が全員の背を焼き、グリグリはついに膝を震わせて叫んだ。
「だめだ……このままじゃ! もう戻ろうよ!」
その瞬間だった。
暗闇の奥から、ずり、ずり、と湿った足音がはっきりと届いてきた。
それはもう錯覚ではない。通路の先で、莫大な数のウーセルが闇を埋めている様子が視認できてしまった。
「ひぃっ……来た!来た来た来たっ!」
グリグリが泣き叫び、後ろに戻ろうとしたとき――。
「猫さん!!」
思いもよらぬ大声が響き、全員の足が止まった。
その声の主は、猫の使者の背に負われていたオイラーだった。
「オイラー!!」
アイアイが呼びかけると、オイラーは薄目を開き、震える声を吐いた。
「……猫さん……においでわかるんだけど……爆弾、持ってるよね……」
猫の使者は驚きに目を見開き、低く答えた。
「……確かに、持っています。ですが、これだけの数に使っても……殲滅は到底できません」
しかし、オイラーはその言葉に反応を示さず、かすれた声を絞り出した。
「……爆弾を……ここの床に仕掛けて……」
言い切ると同時に、再び瞼が閉じた。
猫の使者は息を呑む。
「床に……? なぜ?…貴重な爆薬なのですよ…」
そのとき
「そうか!なるほど!君はこの場所を探していたんだね!」
アイアイが叫んだ。アイアイの頭の中で点と点がつながり、その声には確信の色が宿っていた。
「とにかく使者さん、爆弾を床に仕掛けて!!」
アイアイの確信が猫の使者に伝わったのか、彼は言葉を聞き終える前に、鋭く頷き、腰の袋から爆弾を取り出した。

「理由はわかりませんが……信じましょう!」
素早く床に設置し、導火線に火をつける。
「走って!距離を取れ!!!」
猫の使者の声と同時に、一行は全速力で通路を駆けた。
背後で導火線が焼ける音が短く続き――
――ドォゴォオオオオンッ!!
轟音が石壁を震わせ、通路全体が揺さぶられた。
熱風が吹き抜け、瓦礫が雨のように降り注ぐ。
一行は逃げ込んだ瓦礫の陰に身を潜めながら、互いに顔を見合わせた。
爆ぜた爆弾の煙と暗闇で通路の様子は全くわからなかった。反響した轟音と火薬のにおいで一行は皆、目を見開きひどい顔をしていた。
煙が晴れたとき、オイラーは目をうっすらと開けたまま、満足そうに微笑み、アイアイは胸の前で手をくみ、なにかを祈っていた。


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