
崩れた小講義室の中、オイラーと名乗ったモグラ族の少年は、目を閉じたまま近くの壁にもたれかかった。
『ふわぁ』と欠伸をして、そのまま寝てしまったようだった。
アイアイたち三人はまだ警戒を解かずに見つめていたが、彼には緊張というものがまるでないようだった。
最初に口を開いたのはアイアイだった。
「ねえ……君、この学舎にずっといたの? あの……白い人形みたいなのを、見たことはある?」
その言葉にうっすら目を開けたオイラーは丸い鼻先をひくひくさせ、目を半分閉じたまま小さく首を傾げた。
「白い人形? ……なにそれ。知らないなぁ」
声も態度もあまりにのんびりしていて、場違いにさえ思えた。
グリグリが尻尾を逆立てて叫ぶ。
「う、嘘だろ!? だって、さっきぼくら、広間で……!」
「見間違いじゃないよ!」とアイアイも力を込めた。
けれどオイラーは欠伸をひとつして、淡々と答えた。
「この学舎は静かで誰も来ないし、寝やすいから、前からここをねぐらにしてたんだ。……でも、白い人形…?…そんなもの、一度も見たことも聞いたこともない」
三人は顔を見合わせ、思わず息をのんだ。
ずっとこの場所に居た者が知らない存在――それはウーセルの異質さをより際立たせるものだった。
猫の使者が静かにアイアイとグリグリに問いかけた。
「ならば、あれは……やはり最近になって現れた存在ということでしょうか……」
低い声が室内に沈む。
そのとき、オイラーは鼻をひくつかせながら、ぽつりとつぶやいた。
「……ふーん、ちょっと気になるな。待ってて」
そう言うと、オイラーは首にかけていたゴーグルをはめるとしゃがみこんだ。そして何のためらいもなく床の割れ目に身を滑り込ませた。
驚いたアイアイが思わず声を上げる。
「ちょ、ちょっと!? どこに行くの!?」
土埃が舞い、モグラ族特有の力強い爪で器用に掘り進んでいく姿は、まるで水に潜る魚のように自然だった。オイラーはあっという間に地面の下に消えた。
数瞬の静寂ののち、アイアイたちが驚きの声をあげる間もなく、床の隙間からひょっこりとオイラーの顔が戻ってきた。

「……ふーん、なるほどねー」
眠たげな声でありながら、その響きには確かな実感があった。
「広間の方角……たくさん足音がしてた。重いけど、ゆっくり動いてる。……あれが君たちの言ってた“白い人形”なの?ずいぶんたくさんいるね~。寝てたから気づかなかったよ。」
アイアイとグリグリの目が大きく見開かれる。
「な、なんでそんなことが分かるの!?」
「だって、床はつながってるだろ? 振動は土の中を伝わる。おいらは……土に潜れば、どの辺にどれくらいの動きがあるか、だいたい分かるんだ」
オイラーは鼻先をひくひく動かしながら、眠そうにまぶたを閉じる。
「ちょっと計算すれば……大きさも数も、なんとなくは読めるよ。……んー、面倒だけど」
猫の使者は思わず口をつぐみ、アイアイは胸の奥が熱くなるのを感じた。
「……すごい……! そんなことができるなら……!」
アイアイは力を込めて言葉を続けた。
「君の力があれば、ウーセルを避けて広間に戻れるかもしれない!」
グリグリはまだ尻尾を震わせていたが、希望を感じたのか、か細い声で言った。
「……本当に……? ぼくら、あの群れを抜けられるの?」
オイラーは眠そうに欠伸をしながら、肩をすくめた。
「……やれるかどうかは知らない。でも……寝場所を荒らされるのは面倒だからなぁ。……少しは手伝ってやってもいいよ」
その緩慢な言葉に、三人の胸にほのかな光が灯った。
学舎の闇に差し込んだ、小さな希望の欠片だった。
しかし、アイアイたち三人が、希望のまなざしをオイラーに向けたとき、オイラーは欠伸をしながら言った。
「ただし条件がある。」
その言葉を聞いて三人の間に緊張が走った。
「手伝っている間、おいらがお腹へったら食べ物をすぐに提供すること。これが条件だよ」
アイアイとグリグリの頭の中には大きなハテナマークが浮かんでいた。


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