
広場の中央に立ち尽くすアイアイは、呼吸が浅くなっていくのを自覚していた。
眼前にそびえる銅像は、自分の姿を模したもの。金属の表面は長い年月に風雨を受け、ところどころ緑青を帯びているようだった。それでもなお凛々しい立ち姿で、村を見守るかのように立っていた。
アイアイは、近くを通りかかった老いた村人を引き止めた。
「こ、この像……この像はいったい、何なんですか?」
村人は目を細め、よくぞ聞いてくれたとばかりに意気揚々と話し始めた。
「この村を救った英雄じゃよ。子どもの頃から“この像は村の誇りだ”と教えられてきたもんじゃ。あれ?これが建ったのは最近だったかの??」
その声はどこか曖昧で、確信のない響きだった。
「はは!それにしても、あんたよく似とるの。銅像に。」そういって老人は歩き去っていった。
『英雄』—耳にした瞬間、アイアイの胸は冷たい手で掴まれたように縮こまった。
「ぼ、ぼくが……英雄……?」
声にならぬ呟きが漏れる。足元が揺らぎ、地面に縫いつけられるような恐怖が身体を支配した。
そのときだ。
重々しい風圧が広場に押し寄せ、空気が震えた。影が覆い、村人たちの悲鳴が上がる。
「ドラゴンだ!」
「逃げろ!」
人々は慌てふためき、荷物を放り出して家々へ駆け込み、戸を閉ざした。瞬く間に広場は閑散となり、残されたのはアイアイたちだけだった。
「なんだよ!ツヴェイ。どこ行ってたんだよ」
グリグリはあきれ顔でダガールの後ろに隠れながら言った。
ダガールは突如、襲来したドラゴンに対して警戒の態勢をとっていたが、
「ダガールさん。大丈夫です。彼は敵ではありません。…おそらく」
という猫の使者の言葉で警戒を解いていた。
舞い降りた巨体は、以前よりもさらに大きく見えた。鱗は鈍い光を反射し、翼の一振りごとに砂塵が巻き上がる。
「やあやあ〜。せっかく来てみたら、歓迎の拍手どころか蜘蛛の子散らしだよ。ドラゴンってほんと、人気商売には向かないねぇ」
軽口を叩きつつも、その金色の眼差しは広場の像とアイアイを交互に射抜く。
その第一声にダガールは目を丸めていたが、構わず続けた。
「あれ?なにそれ?アイアイちゃん銅像になっちゃったの??かっわいいー」
アイアイは唇を震わせた。
「……どうして……ぼくの像が…あるかわからないんだ…」
ツヴェイは尾を地面に打ちつけ、わざとらしく首を傾げる。
「ん〜、あんまり難しく考えないでいいんじゃないかな?そういう仕様ってやつ?まっ!知らんけどー。」
飄々とした口調ではあるが、その奥に冷徹な洞察が潜んでいるのをアイアイは感じた。
「……ぼ、ぼくは英雄なんかじゃない!」
「そりゃそうだ〜。君は君だ。まあそういうこともあるさ。”あの日”以来、そんなもんさ。んー、でも、銅像ができるのは前からか??まあいい。まあいい。気にすんなー」
ツヴェイは大きな翼を広げ、村の広場に再び風を巻き起こした。
「さてと。この村でやることはもう済んだでしょ。村の復活だとか、英雄像だとか──そういう一連の出来事が“必要”だったんだろうね。だったら、立ち止まってる暇はないよ。次は学舎だ。そこまで、ぼくの背に乗せてあげる」
唐突な申し出に、アイアイは目を見張った。谷に来るときは走らされたのに。
思い返せば、ツヴェイの体躯は先ほどよりも確かに大きく、堂々たるものへと成長しているように見える。日数にしても、そんなに離れていたはずはなく、急に大きくなっていたとしか思えなかった。まるで背でアイアイたちを運ぶために大きくなったかのように。
そのとき、ダガールが一歩前へ出た。
「ここで……お別れだな」
静かな言葉が空気を震わせた。
「世話になった。だが、ここから先はおまえたちの道だ」
アイアイは遠慮がちに声を絞り出すように言った。
「……ダガールさん。大丈夫なの…」
「心配するな。俺はもう未来しか見えておらんよ。まさしく過去にとらわれていてもしょうがないって状況そのものだ!なんとかやって見せるさ!本当に本当にありがとう。お前たちのおかげだ!俺は今、幸せさ!」
そう言うと、大きな声で笑った。そしてひとしきり笑った後、一転、真剣な表情になり、アイアイを呼び寄せるように手を伸ばした。
二人だけの距離に近づいたとき、ダガールの声が低く響いた。
「異形のもの…あの黒い腕の四角頭のあいつ…あれは光に包まれたとき、一緒に消えた。だがな、最後に猫のやつに向けて、妙なことを言い残して消えおった」
アイアイの喉がひきつる。
「……なんて?」
「“オマエが一番の異物”……そう言った。たしかにそう言っていた」
オマエガイチバンノイブツ
—その言葉は重石のように胸に沈み、アイアイは思わず猫の使者を見た。彼は小さく肩をすくめ、無言のまま視線を逸らした。聞こえるような距離ではなかったので今の会話を認識はしていないだろう。
ツヴェイがその様子を見ながら、くすりと笑う。
「内緒話は済んだ? じゃあ、そろそろ出発しよっか。時間は待ってくれないからねぇ。」
「はいはい。出発、しゅっっつぱつー」
翼を大きく広げる音が空に響き、広場は再び風と光に包まれた。
旋回したツヴェイは再び、広場に降り立ち、アイアイたちに背を向け、わざとらしく、低い声で言った。
「お前たち、乗ってく」



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