
グリグリの手の中で、旧塔で見つけた“鍵”がわずかに光を放っていた。
その光は装置のくぼみと共鳴するように脈打ち、青白い反射が壁や天井を淡く照らしている。
アイアイは無意識に息を詰め、グリグリの動きを見守った。
カチリ、と控えめな音が響く。グリグリが鍵をくぼみにはめ込んだのだ。
鍵はすっと吸い込まれるように収まり、装置全体が低く唸り始めた。
空気が振動し、足元の床がわずかに震える。
まるで大地の奥深くから、何かが目を覚ましたようだった。
「……なに?どうなるの?」
アイアイの声は、自分でも驚くほど小さかった。
グリグリは何も答えず、ただ装置の中心を凝視している。
その表情は、いつもの不安げなものではなく、何かを覚悟したような硬さを帯びていた。
やがて装置の青白い光が、波紋のように空間へ広がっていく。
揺らめく空間の奥に、微かに別の景色が見えた。
霧に包まれた平原、遠くに浮かぶ構造物。
それは一瞬で消え、再び装置の冷たい輝きだけが残った。
「……今、なんか、村みたいなものが見えたよな?」
アイアイはグリグリに問いかけたが、グリグリは答えず、代わりに視線を入口の方へ向けた。
扉の向こうから、微かな振動音が伝わってくる。
異形のものがまだ近くにいる証拠だ。
アイアイはごくりと唾を飲んだ。
「ダガールたちは……大丈夫かな」
胸の奥がざわつく。外の戦いの音は先ほどより遠のいているが、それが勝利を意味するとは限らない。
むしろ、嵐の前の静けさのようにも思えた。
装置の周囲の空気が、さらに強く歪んでいく。
光の粒子が舞い上がり、壁際の影を長く引き伸ばす。
床の震えは徐々に大きくなり、まるで何か巨大なものが、すぐ下で蠢いているかのようだった。
「グリグリ……これ、本当に大丈夫なのか?」
問いかけても、彼は目を離さない。
その耳がぴくりと動いた瞬間、外から金属が軋むような音が響いた。
異形のものが再び近づいてきている――。
アイアイは反射的に入口を見た。
煙幕の残滓がわずかに流れ込み、白い靄が室内をかすめる。
その向こう、黒い影がじりじりと扉ににじり寄ってくる気配があった。
「来る……!」
アイアイは咄嗟にガルガンチュアを構える。
しかし、光の装置が急に眩しさを増し、視界が真っ白に染まった。
耳鳴りと共に、重力がふっと消えるような感覚が体を包む。
次の瞬間、足元から風が吹き上がった。
装置の中心が渦を巻き、青白い光の柱が天井へ突き抜ける。
その光は、次の瞬間急激に膨れ上がり、すべてを飲み込むかのように拡がっていった。
「な、何だこれ――!」
アイアイの叫びは光に呑まれ、形を持たない響きに変わった。
全身が光に包まれ、境界線が失われていく。
ふと、アイアイが周囲に目をやると、小屋の壁が光の粒のようになり、空中に霧散していった。
そして小屋の外の、”模造された村”の他の建物も、井戸も、木々も同じように、光の粒になって、まるで空中を彷徨う湯気のようにだんだんと消えていった。
グリグリの体の境界線も強い光で曖昧になっていく。アイアイも自分の体が強い光の中で見えなくなるのを感じていた。
そしてだんだんと光に溶け込むように、自分の意識も薄れていくのを感じていた。
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瞼の裏をやわらかな光が満たしていた。どれくらいの時間がたったのだろうか。
アイアイは、遠くで誰かが呼ぶような声をぼんやりと聞きながら、ゆっくりと瞼を開けた。
目に飛び込んできたのは、真っ白な空間と、その中にぽつりと立つ大きな門だった。
門は古びた木造で、威厳のある紋章が刻まれている。
しかし周囲には村も畑もなく、ただ果てしなく続く光の世界が広がっていた。 まるで門だけが取り残され、他のすべてが消え去ったかのようだった。
「……ここは……?」
アイアイが身を起こすと、すぐそばでグリグリもゆっくりと目を開けた。
少し離れた場所には、ダガールと猫の使者も倒れていた。グリグリが駆け寄るとダガールが目を覚ましすぐに身を起こす。
猫の使者も続けて、目を覚まし、あたりを見回していた。
門と四人以外に、光の空間の足元には、色とりどりの布や紙、木彫りの細工物が散らばっていた。
小さな人形、花の刺繍が施されたハンカチ、鮮やかなスカーフ、まだ封を切っていない包み――。
それらは、見知らぬ誰かへの贈り物のように見えた。
「……あぁ、しまった……」
ダガールが散らばった荷物を拾い集めながら、低くつぶやいた。
アイアイが問いかけるより先に、彼はひとつの人形を手に取り、ゆっくりと語り始めた。
「これは……妻と娘に送るつもりだった誕生日の贈り物だ」
ダガールの声には、長い時間を抱えてきた重みがあった。
散らばった贈り物たちは、ダガールがずっと背に負い、アイアイたちを助けるために破壊された荷物の中身だった。
「村が消えてから……もう何年も、あいつらには会えていない。
手紙も届かない、声も聞けない。だからせめて、こうして贈り物だけでも、と……」
彼は服や包みをひとつひとつ拾い上げながら、それぞれが誰に宛てたものかを語った。
妻には暖かなマフラーと手鏡、娘には絵本や小さな髪飾り。
季節も年も越えて、渡せないまま積もっていった想いが、地面に並べられていく。
アイアイは、胸の奥がじんと熱くなるのを感じた。
その贈り物はただの物ではなく、離れた時間と距離を埋めようとした、必死の証だった。
グリグリも何も言わず、静かにその光景を見つめていた。
アイアイが意を決したようにように口を開いた。
「大事なものなのに…僕たちを助けるために使ってくれたの……」
ダガールは消え入りそうな声で言った。
「なあに!命より大事なものを他に知らんよ…」
ダガールの顏は笑顔だった。笑顔で静かにアイアイの肩に手を乗せた。贈り物の中には、焦げたように焼けたもの、壊れたものも多く混じっていた。ダガールの話によるとなくなってしまっているものもあるようだった。
並べられた贈り物を見ながら静かな時間が流れていた。四人にそれ以上、声を発するものはいなかった。
この光の空間の異常さよりも、ダガールの心に寄り添うことを自然と優先した結果だった。流れる時間は終わりがないかのように思えたが、突然に終わりを告げた。
突如として、門の向こうがふっと明るさを増した。
顏をあげ、凝視する四人の目の前で、まるで夜明けが一気に押し寄せるように、白い光が流れ込み、形を成していく。
木造の家々、土の道、煙を上げるかまど、風に揺れる洗濯物――。
瞬く間に光の空間にできあがり、そこに広がっていたのは、まぎれもない本物のカース村だった。
色も匂いも、すべてが生きていて、懐かしさと温もりに満ちている。
口を開け放心して眺めていたダガールが声をふり絞るように言った。
「……戻った……! 村だ……!これは…本物のカース村だ!!」
ダガールは目を見開き、笑いながら門に駆け寄った。
喜びがこみ上げ、声が震えているのがわかった。
しかし、その横で、猫の使者は微動だにせず門の向こう側を見つめていた。
そして、誰にも届かぬような小さな声でつぶやいた。
「……なんて残酷な……」



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