アイアイの大冒険 第三章⑧

第三章

轟音と土煙が入り混じる。
黒い腕は十数本を超え、もはや数える意味すらなかった。
そのすべてが、ダガールと猫の使者を押し潰そうと渦を巻く。

「ダガールっ!下がって!」
猫の使者の声も、甲高いノイズにかき消される。

――もう、無理だ。
アイアイは心の中で何度もそう呟いた。

同時に何かできることはないか、なにか状況を変えるようなことはないか考え続けた。

その考えた結果すべてに可能性の魅力を感じることはできず、常に

――無理だ。

という言葉がくり返された。
 

目の前の光景が現実のはずなのに、どこか遠くの出来事のように霞んで見える。
横で震えるグリグリの手は、氷のように冷たかった。
握り返しても、その震えは止まらない。

異形の黒い腕が地面をえぐるたび、模造された村の地形が少しずつ歪んでいく。
屋根が落ち、井戸の跡が粉砕され、道らしきものはどんどん削られていった。
まるでこの場所そのものを、痕跡ごと消そうとしているかのようだ。

そのとき――

「……ガ、ガルガンチュア?」
アイアイの胸元で、デバ石が脈打つように明滅した。
そしてガルガンチュアが唐突にメッセージを表示した。

──『“門”まで残り60m』

アイアイは視線をデバ石と戦場から逸らし、瓦礫の向こうを見やった。
そこにあったのは、壊れた家屋の下、土埃の中でほの青く瞬く一点の光。

「……あれ……」

グリグリも気づいたらしく、震える声で言った。
「あれ、さっきなかった……村の奥で、何か……光ってる?」

アイアイはもう一度ガルガンチュアを見る。
”光”は戦場の土埃の先にあった。

異形が振り回す黒い腕の、その隙間の先に、青白い光がある。
アイアイは息をのみ、グリグリの腕をつかんだ。

そしてもう一度、深呼吸をしてからグリグリに告げた。
「次に全部の腕が上がった瞬間、あの光まで走る!」

「は、は?なに?、、え?、は?、、走ってどうすんだよ!?」
「いいから! 今はあそこまで行くことだけ考えて!」

実際、アイアイにも光のところに行ったからといってどうにかなるかなんて考えはなかった。

光のところに行きたいという衝動は、理論的ではなかったが、極限を迎える状況だからなのか、妙にアイアイを突き動かすものだった。

そのアイアイの表情をみて、グリグリも覚悟を決めたのか幾分落ち着きを取り戻していた。

その間にも、戦場では金属音と風の唸りが交錯している。
ダガールの剣筋は鈍らず、猫の使者のナイフは鋭く閃く。だが、増え続ける黒い腕は二人の間を裂き、じわじわと包囲を縮めていく。

異形が再び腕を振り上げる。
黒い影が十本ほど、天に伸び、空を覆った。
その一瞬、瓦礫の向こうの光が、誘うように強く輝いた。

「今だ!」
二人は地面を蹴った。


足元で瓦礫が砕け、砂が跳ねる。視界の端でダガールがこちらを見た気がした。
走るアイアイたちを認識したのか、黒い腕が方向を変え二人に向かおうとした瞬間、

ダガールが渾身の一振りで薙ぎ払った。

アイアイたちはその様子を見ることもなくただ一心に走った。

「アイアーイ!!!」

遠くでダガールの声がする。それはすぐ近くで放たれた怒号だったが、アイアイの耳にはずいぶん遠くの声に聞こえた。

ダガールの一撃から逃れた一本の黒い腕が鋭く爪を尖らせながら、アイアイたちに襲い掛かろうとしていた。

走り抜けるアイアイたちの背中はあまりに無防備だった。

黒い腕がアイアイたちの背中をとらえようとスピードをあげる。無残にもその爪が

二人を引き裂くのは確実かのように見える。だが、アイアイたちの背中に追いつかれる直前、空中で何かが爆ぜた。

アイアイたちが走り抜ける頭上で爆ぜたのは、ダガールが背負っていたあの荷物の箱だった。アイアイたちと黒い腕の間に入って二人を守ったのだ。

黒い腕はまるで意思あるかのように、まるで、この状況に驚いたかのように動きを止めた。

箱はダガールがアイアイたちを助けるために咄嗟に投げられたのだ。空中から箱の中身が降り注ぐ。

アイアイたちは後方で大きな音がしたことはわかっていたが、そのまま走り抜けた。

二人は、目の端でダガールを見たときから、何があっても走り抜けようと決めていたのだ。

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ダガールが地を蹴った。その巨体が風を裂き、異形の脇腹に体当たりを食らわせる。
低くうなる音とともに、黒い腕の群れが一瞬だけ揺らぎ、標的を見失ったかのように宙をさまよった。

そして異形の体、無数の黒い腕ごと転がり、アイアイたちとの距離が拡がった。

続けて、猫の使者が煙幕を投げる。白い霧が一帯を覆い、戦場とアイアイたちとの間に壁ができた。

ダガールも猫の使者も単に二人を逃がそうとしていたわけではなく、アイアイとグリグリが何かに向かっていることをなんとなく理解していた。二人の行動が「希望になる」「戦況を覆してくれる」とまでは考えていなかったが、アイアイたちの行動になんらかの意思を感じての行動だった。

アイアイとグリグリは息を切らしながら瓦礫を越えた。足元は崩れた石段、壁の破片が散らばっている。

胸元でデバ石が脈打ち、先ほどの青白い光を指し示すように明滅を続けていた。

ようやく視界が開けた先に、小さな木造の小屋があった。古びた扉や窓の隙間から、あの光が漏れている。

「ここだ……」アイアイは駆け寄り、扉の取っ手を握った。

アイアイは、ここになにがあるのかはわからないまま、たどり着いたが、この先にあるものが”希望”であることを願いながら扉を開けようとした。取っ手をひく引く手に力が入る。その瞬間、アイアイもグリグリもほぼ同時に大きく息を飲み込んだ・・

ガンという音がした。一瞬何が起きたのかわからなかった。取っ手を引く力が一気に遮られ、ガンという音を立てただけでそこからびくともしなかった。押しても引いても扉は開かなかった。焦る気持ちもあるのかどうやっても開かない。


「なんで……!開かない!どうして・・」

焦りで手のひらが汗ばむ。間を開けず、額から頬に大量の汗がつたっていった。背後からは金属音と風を切る唸りが絶え間なく響き、異形と仲間たちの戦いが続いているのがわかる。

「変わって」グリグリが短く言った。

「でも……!」アイアイが振り返ろうとするが、その瞬間、背後の戦場で爆発音が響き、思わず視線を奪われる。

耳をつんざく轟音、黒い腕が何本も空を切る音。遅れて爆風が二人の体をたたいた。
アイアイの心臓が跳ね、ほんの一瞬、戦いの光景から目を離せなかった。

そしてアイアイが再び正面へ視線を戻したとき、扉はすでに開いていた。

「どうして・・・てっきり鍵がかかってるのか思ったけど、どうやって・・」


グリグリは何事もなかったように中へ踏み込み、

「早く。手先は器用だっていっただろ」とだけ言った。

アイアイは戸惑いながらも、光に引き寄せられるように小屋の中へ入った。
そこは外から見たよりも広く、中央には台座の上に設置された金属の装置があった。

装置の中心部が青白く脈動し、周囲の空気がわずかに歪んでいる。
まるで水面を通して遠くを見ているような、淡く揺れる空間がそこにあった。

アイアイは息を呑み、そっと手を伸ばしかける。
その指先が触れそうになったとき、背後から再び轟音が響いた。
しかし、その音は、扉の向こうで急速に遠ざかっていくような気がした。

やがて気が付くと周辺は無音になっていた。アイアイは光の装置が放つ冷たい輝きに、全身が釘付けになっていた。

よく見ると装置には四角いくぼみがあった。くぼみに気を取られ、少し冷静になったアイアイが、ふとグリグリを見ると、旧塔で見つけた”鍵”を手に持っていた。

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