アイアイの大冒険 第三章⑤

第三章

“鏡の穴”から現れた黒い腕──あの異形のものが霧散したあと、四人はその場にしばらく立ち尽くしていた。

「本当……何だったんだ、あれ」

再びアイアイが口を開いた。目を見開き、穴のあった場所を見つめている。
「ぼく……あれに触れられてたら、たぶん……帰ってこれなかった気がする」

グリグリはまだ震えていた。しっぽをぐっと身体に巻きつけ、膝を抱えて座っている。

猫の使者は黙っていたが、その眼差しは鋭く、かつ険しい。視線は穴の跡に向いたままだ。

「俺は……見たことがある」
ダガールの声に、三人の視線が向く。

「……昔、村の井戸の底に、同じような“黒い腕”が現れた。誰も手を出さなかったが……しばらくして消えた。俺の村では一度しか見たことがないが、”あの日”依頼、各地で目撃情報が増えているらしい。」

空気が冷たくなったように感じられた。風が吹いたわけではない。ただ、言葉がその場の温度を奪っていった。

「それって……幽霊とかそういう話ですか?」アイアイが尋ねた。

「わからん。ただ……あれは“こちらの世界”のものじゃなかった。そう思ってる」

猫の使者がつぶやく 

「……理からはずれたもの…」

誰も答えなかった。だが、その沈黙を破ったのは、またしても風だった。

──ヒュゥゥ……

谷の岩壁をかすめるように風が吹き、その中に、微かに何かが混じっていた。言葉ではなかった。ただ、確かに“誰かがいる”とわかる、そんな気配。

「……風の向こうに、誰かがいる」

グリグリが、つぶやくように言った。

「おまえも、感じたか」
ダガールの声に、グリグリは驚いたように頷いた。

「うん。風の音が、全部同じじゃないんだ。さっきから、まるで……遠くで誰かが歩いてるような音がまじってる」

猫の使者が小さくつぶやいた。
「そうですね。たしかに何かいる気配はしました。それが理からはずれた者かそうではない者かは、わかりませんが、、」

アイアイは、ごくりとつばを飲み込んだ。

「……もしかして、“シーカー”がついてきてる??」

「いや、あいつは……なんとなくですが…あいつの役割はここにはないと思います」
猫の使者が即答した。

「……なんにせよ、今まで、俺の探索では『黒い腕』が現れたことも、風の向こう側のやつの気配をこんなに近くで感じたことはない。何か変化の兆しがありそうで俺の胸は熱く高鳴っている」

そういって笑うダガールを尻目に
「僕は怖くてしょうがないよ・・・」とグリグリがぽつりと言った。

それ以上は誰も言わなかった。

とにかく””風の向こう側の気配”は消え、しばらくたっても何も起りそうにないので誰からともなく、また黙って、歩き出した。

道はしだいに狭まり、谷の壁が両側から圧迫するように迫ってくる。風の通り道が絞られたせいか、音が鋭くなり、足音すらも吸い込まれるように消えていく。

しばらく進んだ先で、突然、視界が開けた。

岩と岩の間に、古びた石橋が架かっていた。橋の手前には、くずれかけた標識のようなものが立っており、何かが刻まれている。

「……読めないな」

アイアイが覗き込むが、文字は風化しかけていた。アイアイは思い立って『ガルガンチュア』を文字にかざしてみる。

──解析完了しました。『この橋の先、まっすぐ進めばカース村』

画面をのぞき込んだダガールが言った。

「今も”まっすぐ”とは限らんがな。昔は確かにこの橋の向こうにカースの村があったのだよ。この橋にたどり着いたのも数年ぶりだ。やはり、お前たちに出会えたことが良い兆しだったのかもな」

ダガールはまっすぐ橋の先を見つめていた。

猫の使者が慎重に近づき、橋を見やった。
「渡れるかは……微妙ですね。中央の石が何枚か落ちかけている」

「けど、この橋以外に道はない」
ダガールが断言した。

グリグリが顔をしかめた。
「……風の向こうにいるやつ、橋の向こうにいる気がする。ずっと、ずっとこっち見てるような……」

アイアイが言った。
「でも……行かなきゃいけない」

四人は、橋に向かって、ゆっくりと歩を進めた。

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橋は今にも崩れそうな部分もあったが四人は慎重に渡り切った。

橋を渡りきった先には、思った通り“まっすぐな道”は存在しなかった。

谷の岩肌に囲まれた狭い空間に出ると、そこには左右に分かれた二本の道が伸びていた。片方は岩の間を縫うように奥へ続く薄暗い獣道、もう一方は小さな階段のような段差を上っていく細い崖道だった。

そのどちらも、先は見えない。

ダガールは橋の袂に立ち尽くし、風に飛ばされそうになるグリグリの体を抑えながら言った。

「……昔は確かに、まっすぐだった。橋を渡れば村まで一本道だったんだ……」

拳を固く握りしめ、岩壁を見つめたまま、しばらく沈黙が続く。

「……やはり、そうはいかんか」
その声には、失われた記憶と現実との乖離に、どこか悔しさと諦めがにじんでいた。

「道が、変えられてるということですか……」

猫の使者が周囲をぐるりと見回し、ゆっくりと頷いた。
「あきらかに自然にどうこうできるものではありませんね。これは、意図的な再構成です。まるで“通すべき者だけを選別するような”……」

「また分岐……」
グリグリがつぶやいた。

「もう、どっちに行けばいいのか、わかんないよ……」

そのとき、アイアイの胸元──カバンの中のデバ石が、淡く光を放った。
「……ガルガンチュア?」

アイアイはすぐにデバ石を取り出し、画面を確認する。そこには、たった一行の指示が浮かび上がっていた。

──『三度、曲がった先に“門”あり』

「右……?」アイアイが顔を上げ、崖道の方を見やる。道はうねるように続いているが、先の様子までは伺えない。

「……三度、曲がるって……?」

「崖道だな」
ダガールが即答する。

「この谷の地形だと、三度のカーブを描くのはあっちしかない」
猫の使者も頷いた。
「この空間の構造を考えれば、おそらく崖道を選べということでしょう」

グリグリがガルガンチュアの画面をのぞき込んで言った。
「でもなんで、急にこの子が道を教えてくれるの・・・」

アイアイは困惑した顔でグリグリを見返した。

かわりにダガールが口を開いた。
「他に信じるべき指標もない。根拠もないが、なにかの兆しかもしれん。俺は兆しを感じたらそれに従うようにしてる」

その言葉に、グリグリは少しだけ顔をほころばせた。
「兆しね…じゃあ、信じてみるか……右の道」

アイアイはガルガンチュアをそっと胸に戻し、仲間たちの方を向いた。

「行こう。この先に、何があっても」

ダガールが笑う。
「ああ、そうだな。それに俺は”門”という言葉に興奮している。村の入り口には立派な門があったのよ」

そう言ったダガールの目にはうっすらと涙が浮かんでいるように見えた。

猫の使者は静かに頷き、そして四人は、右の崖道へと歩を進めた。

風の向こう側で、また、誰かが笑っているような音を立てた気がした。

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