アイアイの大冒険 第五章34
意識がはっきり戻ったとき、
アイルは自分がまだ床に伏せられていることに気づいた。
石の冷たさが、頬に伝わってくる。
背中と腕を押さえつけていた力は、すでに緩んでいたが、
代わりに、手首には冷たい拘束具が嵌められていた。
「……っ」
体を起こそうとすると、すぐ横から無言の圧がかかる。
顔を上げると、そこにはカラス族の警備兵が立っていた。
近い。
羽毛の黒が、視界の半分を覆うほどの距離。
だが、その顔には――やはり、感情がなかった。
「……シーカー……スペーラー……」
小さく名を呼ぶ。
少し離れた場所で、二人も同じように拘束されていた。
シーカーは歯を食いしばり、スペーラーは表情を崩さないまま、周囲を観察している。
「……あのう…カラスさん…?」
アイルは、目の前のカラス族に問いかけた。
返事はない。
視線は、こちらを“見ている”はずなのに、
その奥には、何も映っていないようだった。
やがて――
短い合図のような動きが、カラス族の間で交わされる。
次の瞬間、アイルの腕が引かれた。
「……っ」
乱暴ではない。
だが、拒否は許されない力。
三人は、言葉もなく歩かされ始めた。
進む先は、学院の中央方向。
だが、先ほど使った外縁部へ伸びる通路とは違う方角だった。

崩落の影響だろうか。
壁の一部が剥がれ、石材が露出している。
床には細かな亀裂が走り、ところどころ白い粉塵が積もっていた。
遠くから、救助の声が聞こえる。
怒鳴り声、泣き声、指示の声。
それらを、カラス族たちは一切気に留めようともしない。
ただ、決められた道を、決められた速度で進んでいるだけかのように突き進んでいた。
(……どこへ……)
アイルは、足元にふと視線を落とした。
――光。
ほんの一瞬。
石床の割れ目に、淡い光の名残が、かすかに揺れた。
見間違いかもしれない。
だが、確かに――
モヤモヤの光に、似ていた。
胸の奥が、きゅっと縮む。
(……やっぱり……)
だが、次の瞬間には、その光は、粉塵の中に紛れて消えていた。
「……ふー……」
スペーラーが、小さく息を吐く。
「……下ですね」
囁くような声。
前方に、暗く、深い通路が口を開けていた。
明らかに、これまで使われていたような設備には見えない。
崩れた中心部の影。地下へと続く、即席の通路。
カラス族たちは、迷いなく、そこへ向かう。
アイルは、思わず振り返った。
遠く、崩壊した中心部の方角。
あたりを見回し、ドラゴンの姿は、もうどこにも見えないことに気づいた。
咆哮も、ない。
だが――なぜかはわからないが、アイルは何かが、“下”へと引き寄せられている感覚を感じていた。
(……待ってて……)
誰に向けた言葉なのか、
アイル自身にもわからなかった。
三人は、無言の警備兵に囲まれたまま、暗い通路の奥へと、連れて行かれていった。
――暗く周りも見えないような道で、アイルは幼少期のことを思い出していた。
腕を引かれ、閉じ込められた倉庫。
アイル自身、なにも悪いことをした意識はなかった。ただ母の機嫌が悪いとそうなったとしか言えなかった。
しかし、幼いアイルは自分が悪かったのだと、何か自分に悪いことがあったからこの暗い倉庫に閉じ込められているのだと、暗闇の中で考え続けるのが常だった。

そうして倉庫から出されたときは泣いて、泣きわめいて母に謝っていた。
何に対して謝っていたのか今考えても答えはでなかった。
その母と倉庫から少しでも離れたくて、この土地に逃げるようにやってきたのだ。
そしてシーカーに出会い、友を知った。
アイルは世界が開けたことがうれしかった。
だが、今また腕を引かれて、暗闇に連れられたことでアイルの世界は閉じようとしていた。少なくとも当のアイルにはそう感じられていた。
引きづられながらも足取りはさらに重くなっていった。
しかし、そのとき――
「…大丈夫か!アイル」
すぐ近く、暗闇の中から声が聞こえる。
シーカーの声だ。姿は暗くて見えない。
暗闇の中で、アイルはうなだれていた顔をあげた。
あの日の暗闇と、この暗闇は全く別のものだった。
なぜなら今は、横にシーカーがいる。スペーラーがいる。
この先に何があるのかはわからないが、何が来たって乗り越えてやる。
アイルは拘束され、暗闇を歩かせながらも心を強く持とうと決心していた。
「うん!私は大丈夫だよ。シーカー!」
――三人は学院の、さらに深い場所へ。ドラゴンのあけた『大空洞』へと向かって連行された。

