ふたりと猫族の使者が山道を進んで数時間が経った。
霧はしだいに濃くなり、あたりの景色はぼんやりと輪郭を失っていった。木々の影がゆらぎ、地面の起伏も見えにくくなる中、ただ足元の感触だけを頼りに歩を進める。
「……このあたり、前に来たことがある気がする」
グリグリがぽつりとつぶやいた。
「えっ、ほんと?」
アイアイは驚いて振り向くが、グリグリの顔は曇っていた。
「……でも、いつだったか、何をしていたのか、までは思い出せないんだ」
霧の中に、何かが眠っているような感覚。霧の中から、なにかがこすれる様な音がする。時折聞こえる鳥の声もすべてが不気味に聞こえる。ひときわ大きな鳥の鳴き声が聞こえ、グリグリが肩を震わせた。
それでも足を進めていくと、ふっと霧の中からの音が一切なくなった。
そのとき、猫族の使者が足を止める。
「着きました。ここが──霧丘外郭、旧塔です」
その言葉に導かれるように、霧の向こうから古びた建物の影が浮かび上がった。
それは使者が言ったように塔の形をしていた。
だが、塔は完全な姿ではなかった。上部は崩れ、斜めに傾き、外壁は苔とひび割れに覆われている。
塔の根元には、かつて門だったと思われる石の枠が残されており、そこには古い文字が刻まれていた。
「……《霧丘外郭、旧塔区域》……間違いない、ここだ」
アイアイは記録板にあった文字を思い出し、門をくぐり、ゆっくりと塔に近づいた。
グリグリは足を止めたまま、じっと塔を見上げていた。
「……なんか、胸が苦しい。ここに来たことがある気がするんだけど、……」
猫族の使者が静かに言った。
「ここは、記録にも、語られていないことが多い。だからこそ、真実が残っている可能性があります」
その言葉を聞き、アイアイは塔の扉に手をかけた。
ぎい、と古い蝶番が軋む音を立て、重たい扉がゆっくりと開いた。
その先に、なにがまっているのかアイアイには全くわからなかった。あえて何も想像しないようにしていたのかもしれない。悪い想像をしてしまいそうで、その悪い想像が実現してしまいそうなのが怖くて、、この先のことを想像することさえ拒んでしまっていたのかもしれない。
アイルのこと、村のこと、ここでどうつながるか想像もつかないが、何か手がかりが見つかることを願いながら、アイアイは塔に足を踏み入れた。
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塔の内部は、思っていたよりも広かった。
単純な広さだけではなく、音のなさが空間をさらに大きく感じさせていた。歩くたびに靴音が響くのに、それ以外の音がどこにもなかった。
壁際には古びた階段があり、上階へと続いているようだったが、途中で崩れていて使えそうになかった。
「……おそらく…こっちですね」
猫族の使者が指し示したのは、塔の中央にある螺旋状のスロープだった。
まるで内部をえぐるようにして掘られたその道は、下層へ向かっていた。
アイアイは少し躊躇したが、グリグリと目を合わせると、彼もうなずいた。
三人は、そろってゆっくりとスロープを降り始めた。
壁には苔が生え、ところどころ石が崩れ落ちていたが、それでも道は続いていた。
やがて、ぽっかりと開けた空間にたどり着く。
その部屋の中央には、黒く焦げたような痕跡が残っていた。周囲には砕けた記録板、割れた金属部品、ひしゃげた端末の残骸。小さな爆発が起きたような、高熱の球が一瞬あらわれて消えたような、、そんなイメージをさせるような光景だった。
アイアイはその真ん中に立ち、周囲を見渡した。
「……何が……ここで?」
グリグリが言葉を失ったまま、ひとつの破片を拾い上げた。 それは、なんてことのない石のかけらのように見えたが、グリグリは凝視し続けていた。
猫族の使者が静かに口を開いた。
「城のデータから見るに、この場所に、なにかが転送されてたということになっています。この様子をみるに、もしかして転送は失敗したのかもしれませんね…」
「じゃあ、アイルは……アイルはどうなったんですか!?」
「…それは、私には、わかりません。ただ……この場所の状態が、何かを物語っている気がしてならないのです。
「そんな…」
アイアイは青ざめた顔のまま、頭を高速回転させていた。
しかし回転だけ速く、答えになるようなことを何も生み出してはくれなかった。
アイアイは胸元のデバ石に手を当てた。デバ石は熱を帯びていた。まるで何かを感じ取っているかのように。
そのとき、あのときの丸い石がかすかに光った。村を出た日に出会った不思議なカラスのクチバシにはさまっていた丸い石。
アイアイが丸い石に気を取られているとブンっという音とともに 塔の壁の一部に
──見えないはずの“窓”が、光に照らされて浮かび上がった。
──その向こうには、ぼんやりと“あの少女”の姿があった。“あの少女”が再び映像の中で、こちらをまっすぐ見ていた。

アイアイと、グリグリが目を丸くし、口をぽかんと開けることしかできていないうちに
映像の少女が口を開いた。
「……あなたは、もうここに来てはいけない」
城で見た映像で聞いた声と同じ声が、塔の内部に、静かに、しかしはっきりと響いた。


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