アイアイの大冒険 第二章⑤

第二章

鉄のようなにおいがする扉の前で、ふたりは立ち止まった。

猫族の使者は、無言のまま壁のくぼみに手を差し入れると、何かをゆっくりと押し込んだ。カチリ、と鈍い音。それだけで、重たい扉は内側へ、静かに開いていった。

ぎい……という音もなく、まるで空気が道を譲ったように。

扉の奥には、さらに狭くて暗い通路が続いていた。 石造りの天井が低く、アイアイは少し背をかがめなければならなかった。

「ついてきてください。ここは……少し不安定なので」

使者の声が、いつもよりも慎重だった。

やがて通路の先がわずかにひらけ、そこにはぽっかりと“空白”のような部屋があった。

装飾も照明もない、むきだしの石の部屋。 中央には、ひとつだけ、円形の台座があった。

その上に、黒ずんだ小さな装置が置かれていた。

「これは……?」

アイアイが問うより先に、グリグリがふらりとその台座へ歩み寄った。

手を伸ばす。触れる。その瞬間。

空気が震え、まるで空間全体が一秒だけ“目を覚ました”ような感覚に包まれた。

装置の表面に、小さな光がひとつ灯った。

次の瞬間、台座の上に、かすかに“映像”のようなものが浮かび上がった。 輪郭はぼやけ、音声も断片的だったが、アイアイには見えた。

──それは、何かの街。宙に浮かぶ建造物。 空に向かってのびる螺旋塔。風のない空。    

そして、その一角に、ひとりの少女の背中。長い髪。真っ直ぐな視線。小さな声が、風に乗ったように、ひとことだけ届いた。

「私は……もう、ここを……」

映像はそこまでだった。装置が静かに光を消し、再び沈黙した。

グリグリは、その場に立ち尽くしていた。彼の手は、ほんのかすかに震えていた。

「見た……ことがある……」

その声は、風のようにか細かった。

アイアイは、台座の下に小さな記録板のようなものが差し込まれているのを見つけ、そっと引き抜いた。そこには、見覚えのある文字が、かすかに残っていた。

 ──《アルンデスカイ・第9端末》

猫族の使者が、小さくため息をついた。

「この記録は……本来、ここには存在しないはずのものです」

「じゃあ、なんで……」

「分かりません。ですが、王も、大臣も、この場所のことは、知らないはずです」

それは警告なのか、提案なのか。その判断は、彼ら自身に委ねられているように感じられた。ふたりは、部屋の中央にたたずんだまま、もう一度あの映像の残像を思い返していた。

あの少女の背中。 あの“言いかけた言葉”。

グリグリは胸元を押さえながら、そっとつぶやいた。

「……あの声、知ってる。」
アイアイも、なんだか聞いたことのある声だと感じていた。

削り取られた城の一部、アイルという名前、映像の少女、アイアイにはわからないことだらけだった。

しかし城に来る前は手がかりになりそうなことにさえ出会えなかった。今ある手がかりは頭が混乱しそうになるものばかりだったが、それでもアイアイは何かをつかみかけているような感覚になった。気持ちが前に向くのが自分でもわかった。

そしてアイアイは、はっきりと思った。

もう一度、王に会わなければならない。言えなかったことを、ちゃんと伝えなければならない。

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地上へ戻ると、空はすっかり夕暮れていた。  高い窓から差し込む光は橙色に染まり、長く引きのばされた影が、廊下をまるで絵画のように染めていた。

猫族の使者は、ふたりを広間へと案内した。

先ほどのお茶の席はそのまま残されていて、王は変わらず大きなボウルの前で何かをかき混ぜていた。 コリクは書物に目を落としていたが、アイアイたちの足音に気づくと、すぐに顔を上げた。

そして言った。

「再来室。目的の変更、または追加ですか?」

アイアイは頷き、一歩前へ出た。

「話したいことがあります。今度は……ちゃんと、聞いてください」

王は泡立て器を止め、ふたりを見た。 にこりともせず、ただ静かに。

アイアイは深く息を吸い、言葉を選びながら話し始めた。
「ぼくたちの村が……トロトロット公国に襲われました。たくさんの人が連れていかれました。今も、行方がわからないままなんです」

グリグリがそっと目を伏せた。

「……それを、取り戻すために、できることを探してる。王様、なにか知ってることはありませんか?」

しばらく沈黙があった。

王は泡立て器を静かに置いた。

「……それは、わしには……」

そのとき、コリクが割って入った。

「“トロトロット公国”による非正規侵攻、および住民移送については、本王国の記録には明確な報告が存在しません」

「でも……地下の記録室には……!」

「それは非公開領域です。正式な記録ではありません」

アイアイは、ぎゅっと拳を握った。

「じゃあ、ぼくたちはどうすればいいんですか? 記録がなければ、誰も助けてくれないんですか?」

その問いに、コリクはわずかに視線をそらした。

王が、静かに立ち上がった。
「コリク。記録にないことでも、真実であることはあるのだよ」

「……王のご判断であれば、従います」

そのやりとりを聞きながら、アイアイは確信した。
この国には、まだ隠されていることがある。でも、少なくとも、王とコリクは“向き合おうとしてくれている”。

それだけでも、希望に近いものだった。

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