アイアイの大冒険 第五章18
シーカーは、ただ走っていた。
どこへ向かっているのかもわからないまま、ただ追い立てられるままに。
背後から、羽ばたきと金属の擦れる音が迫ってくる。
「侵入者、北側回廊に移動!包囲を維持しろ!」
カラス族の声が、石壁に反響する。
湿った地下室から続く通路は狭く、曲がり角も多い。
視界の端で、黒い翼が何度も閃いた。
「ひぃ……!これ捕まっちゃうとどうなるんですか!?」
「ふー……ろくなことにはならないでしょうね。最悪…ふー」
スペーラーは相変わらず淡々と答える。
息はあまり切れていない。シーカーだけが、ぜいぜいと肩で呼吸をしていた。
「スペーラーさん、どこに逃げればいいんですか!」
「上に行きましょう。ここはおそらく地下です。地上に出ないことにはどうにもなりません。たぶん」

たぶん、の一言にツッコむ余裕もなく、
シーカーは指さされた階段を駆け上がった。
石段を踏みしめる足に、じくじくと疲労が溜まっていく。
振り返ると、下の踊り場にカラス族が飛び込んでくるのが見えた。
「前方確認!はやく捕まえろ!」
鉤つき棒が振り上げられる。
シーカーはふーふーいって全力で走り続けた。
二人は階段を駆け上がり、踊り場を抜け、
やがて天井の少し高い回廊に飛び出した。
そこは先程までの地下とは違い、壁に装飾の施された長い廊下だった。
窓はないが、天井のあちこちで淡い光が明滅している。
石床に刻まれた模様が、うっすらと光を返した。
「……でででで出口はどっちでしょうか!」
「うーん。ここは地上階で間違いはなさそうですが。ふー……出口までは遠そうですね」
安堵する暇もなく、背後から再び羽音が近づいてくる。
シーカーは廊下の先を見て、息を飲んだ。
「分かれ道だ……!」
左右に伸びる回廊。
それぞれに、同じような石壁と装飾。
シーカーはほんの一瞬だけ迷い――
「右!」と叫んで駆け出した。
角を曲がった瞬間、背後でカラス族の一団が滑り込んでくる。
鉤つき棒が床を打ち、火花が飛んだ。
「侵入者、右回廊へ!追跡を継続!」
声が追いかけてくる。
シーカーは歯を食いしばり、ただ足を前に出し続けた。
(アイル……どこだよ……)
胸の奥が、焦りと不安でぎゅっと締めつけられる。
あいつなら――
こんな状況でもきっと笑っている気がした。
そのときだった。
廊下の先、床の上に“何か”が落ちているのが目に入る。
「……ん?」
シーカーは思わず何かの予感がして、走りながらその何かを拾った。
それは一枚の布だった。その端の刺繍には見覚えがあった。
「これ……」
指先が震える。
それは、アイルの郵便袋の内布と同じ模様だった。
ディグレンチェ村で、配達員になったときに縫い付けてもらったと言っていた布。
「アイル……ここを通ったんだ……!」
喉の奥が熱くなる。
シーカーは布をぎゅっと握りしめた。

背後から羽音が迫る。
スペーラーが短く息を吐いた。
「感傷に浸る時間はありませんよ。ふー……しかし、良かったですね」
「良くないですよ! ……いや、良いですけど!でも追われてるんですよ、今!!」
カラス族の影が曲がり角の向こうに見えた。
シーカーは布をポケットにねじ込んだ。
さらに先へ進むと、廊下はふいに開けた場所へとつながった。
高い天井、壁一面に埋め込まれた棚。
分厚い本が並び、空中には誰のものか、羽毛がふわふわと漂っている。
「……図書室、ですかね?」
「記録棟の一部かもしれませんね。隠れるには悪くない場所です」
スペーラーがそう言うと同時に、
別の出入口からカラス族が二羽、飛び込んでくるのが見えた。
「どうしましょう。スペーラーさん!」
「ふー……では、この下に隠れましょうか」
「下?」
スペーラーは棚の隙間の一点を指さした。
そこには半ば開きかけた木製の小さな扉がある。
普通に歩いていたら見落としてしまいそうな、目立たない扉だ。
「わかりますか?おそらくこの下には、なにかしらの空間があります」
「……よくこんなもん見つけますね!?」
感心しながら、シーカーは扉を開け放った。
軋む音とともに、冷たい空気が吹き上がる。
「行きますよ!」
二人は身を縮め、その先にあった狭い階段を一気に駆け降りた。
扉が閉まる直前、上の方でカラス族の声が聞こえた。
「足跡が途切れたぞ!周囲を探せ!」
扉の下の薄暗がりに、ふたりの息遣いだけが残る。
シーカーは壁に手をつき、その場にしゃがみこんだ。
「……はあ、はあっ……死ぬかと思いました……」
「生きていますよ。ふー……まだ」
スペーラーは平然とした顔で、狭い階段の下を覗き込んだ。
そこには、さらに続く通路が見える。
さきほどの地下室ほど湿ってはいないが、人の気配はあまり感じられない。
「ここは……?」
「おそらく、あまり使われていない区画でしょう。追跡もすぐには届かないはずです」
シーカーはポケットの中の布を握りしめた。
さっき拾った、アイルの痕跡。
「……アイルも、この建物のどこかにいる…」
自分に言い聞かせるように呟く。
「ええ。そういうことでしょう」
スペーラーは階段を降りながら、何気ない調子で続けた。
「彼女は、あなたが想像するよりも、しぶとそうですし」
その言葉に、シーカーは少しだけ笑った。
「……そうですね。あいつ、簡単には倒れないですから」
ふたりの足音が、静かな通路に吸い込まれていく。
頭上では、なおもカラス族の羽音が遠く響いていた。

