アイアイの大冒険 第二章⑨

第二章

部屋の隅に腰を下ろしたアイアイは、両手で手紙をそっと開いた。紙は古びており、折れ目は何度も読み返されたようにすり減っていた。

その文字は、小さく、丁寧だった。どこかで見覚えのある、やさしく、けれどどこか焦りも滲ませた筆跡。

『これを見つけた人へ。 これはあなたのために書かれたものです。私は、あなたがここに来るのを持っていました。でももう行かなくてはなりません』

アイアイはごくりと息をのんだ。次の言葉を読むのが怖くなるほどだった。

『私はアイル。……この名前が、あなたの記憶にあるなら、それだけでいい。あなたがここにたどり着いてよかった。準備をした甲斐がありました。伝えた通り、鍵はこの塔の中にあるはずです。』

グリグリがそっと横に腰を下ろした。アイアイは続けて、声に出さずに読んだ。

『この塔で私が試みたものは、もうほとんど失われています。記録も、道も、味方も。でも、それでも“鍵”だけは、どこかに残してあるはずです。 それを見つけて地図の印のところに向かってください。』

手紙の最後には、こう書かれていた。

『あなたが、わたしのことを知らなくてもいい。 ──  どうか、自分を疑わないで。 道は、ちゃんとつながっています』

アイアイは手紙を胸に抱えたまま、しばらく黙っていた。
グリグリは何も言わなかった。ただ、じっとアイアイの顔を見つめていた。

猫族の使者が、珍しくゆっくりと、言葉を選ぶようにして話し出した。

「アイル。あなたの母君と同じ名ということでしたね。この手紙はどういうわけか、あなたに向けられているようですね…」

アイアイは、なにも答えず、猫の使者に目線だけ送った。母とアイルが同一人物であること、それはうっすらとつながってきたことではある。

しかし、それが確信にかわるのは、少し怖い気がした。

映像の見た目が少女で母の姿と一致しないということもある。そんな不可思議なことが起こりえるという可能性だけでなんだか怖く感じるのは確かだ。

それ以上に、二人の一致を認めてしまえば、今まで共に過ごしてきた母に自分の知らない部分があるという事実がわかってしまうであろうことが、どういうわけかひどく寂しく怖かった。

そしてアイアイは猫の使者から目線を外すと、そっと地図を開いた。

それは、王国の地図には記されていない一帯だった。 「暴風雨の谷」、斜めに大陸を割る「サラサラーリ川」、そして──“廃墟となった学舎”と記された印。

「次は、ここだね」

アイアイの言葉に、グリグリがうなずいた。
「また、行くのか……怖いけど……でも、なんか、楽しみでもある」

ふたりの視線が合った。

「まずは鍵を探さなきゃだね…」グリグリの言葉にアイアイは強くうなづいた。

そのとき、塔の上の方から──コツン、と小さな音が聞こえた。
誰かの足音のような、それでいて、どこか遠い記憶をノックされるような音だった。

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塔の静寂を破ったその音は、まぎれもなく“足音”だった。

 ──コツン、コツン。

それは階段の上の方から、一歩ずつ、間を置きながら響いてきた。誰かがこちらへ近づいてくる。

アイアイは咄嗟に立ち上がった。グリグリも同じく身をこわばらせ、猫の使者はすでに動作を止め、音の方向を見つめている。なにか非常用に携帯しているのか腰に手を当てている。

音は止まなかった。一定のリズムで、しかしゆっくりと、降りてくる。まるでその足音の主が、自分の存在を隠す気がないかのように。

「隠れたほうが……いい?」
グリグリが小声でささやいた。だが、猫の使者は首を横に振った。

「……もう気づかれています。逃げるのは不可能でしょう」

アイアイはごくりと喉を鳴らした。こんなにも息をひそめる空間に、こんなにもあからさまな音。

──そのとき。

階段の影から、ひとつの影がゆらりと現れた。猫の使者が二人の前に出て腰を低くかがめてまっすぐに影を見ている。

それは人のようで、人ではない。ように見えた。

背は高く、細身で、長いフード付きの黒衣をまとっていた。顔は見えなかった。いや、正確には、フードの奥がまるで“空洞”のように闇で満たされていたのだ。

ただ、その輪郭だけは、たしかに“ヒト”の姿をしていた。

影はゆっくりと部屋に入り、立ち止まった。

そして、言葉を発した。

「……鍵は、手に入れたのか?」

その声は、まるで風が石壁をなぞるような音だった。

アイアイは思わず一歩下がった。グリグリが腕をつかんで止める。
「あなたは……誰?」

アイアイが聞くと訊くと、影はしばらく沈黙した。

やがて、低く、かすれた声でつぶやいた。
“シーカー”‥‥私は‥シーカーだったもの…あの人の残したものを、追ってきた…だと思う…」

 “あの人”。

アイアイの心が、強く反応した。

「あなた、アイルを知ってるの……?」
影は、わずかにうなずいた。

「知っていた。かつて……共に在った、時間があった」

グリグリが目を見開く。猫の使者は、表情を変えぬまま、手をゆっくりと台座に添えた。

「あなたが、ここに現れた理由はなんですか」
猫の使者の質問に “シーカー”は何も答えなかった。

アイアイがこぼれるように「どうして、、ここに来たの」と口にすると、今後はシーカーは即座に答えた。

「目的は一つ。この場所の“断片”が、今なお“連結”される危険がある。それを止めねばならない」

「連結……?」

アイアイの頭に、塔で見た文字列がよみがえる。《AL-10:連結済》──

「それって……この地図にある場所と、つながるってこと……?」

“探す者”は、かすかに首を横に振った。そのように見えた。

「すでに連結は、不安定なものになっている。お前が、それを間違って使ってしまわないよう・・・・頼まれた。気がする。」

その言葉は、あの映像の中の声と、重なって聞こえた。

 ──「あなたは、もうここに来てはいけない」

“シーカー”は、背を向け、また階段へと戻ろうとした。その動作はまるで、すでにすべてを語り終えた者のようだった。

けれどアイアイは、黙ってはいられなかった。
「待って!」

影が止まる。

「もしあなたがアイルを知ってるなら──教えて。彼女は、いま、どこにいるの?」

長い沈黙のあと、影がつぶやいた。

「それを……私は知らないし、それをお前が知らないのなら、お前には、まだ他にやることがあるからだろう」

そして、影は闇のなかへと溶けるように消えていった。

その場には、また静寂だけが残された。

アイアイは肩で息をしながら、胸の奥に残った言葉の重さを、感じていた。

 ──やること? 何が? どうすれば、辿り着けるのだろう。

グリグリが、ぽつりと漏らした。
「……あれ、本当に“ヒト”だったのかな。」

誰も、答えられなかった。

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