アイアイの大冒険 第二章④

第二章

アイアイは言葉を失い、その場に立ち尽くした。
風が吹いた。だが、どこから吹いているのか、分からなかった。

猫族の使者は何も言わなかった。ただ静かに、そこに立っていた。

「……これ……なんなの?」
アイアイの問いに、猫族の使者がちらりと振り返り、ぽつりとつぶやいた。

「これは……まあ、いつの間にかこうなっていましたね」

それ以上、説明はなかった。だが、その言葉の軽さが、逆にアイアイの胸に冷たいものを落とした。けれど、それは確かに、この国の奥深くに隠された“何か”の入口のように思えた。

そのときだった。    

アイアイの胸ポケットで、デバ石がふるふると震えた。それは熱でも冷たさでもなく、まるで内側から「何かを言おうとしている」ような感触だった。

「……聞こえる?」  

思わず問いかけたアイアイの声に、グリグリがそっと顔を向けた。

だが石は、また沈黙した。

城の欠けた境界のそばに、グリグリはひとりで近づいていった。  縁のぎりぎりに立ち、遠くを見つめている。

「ねえ、グリグリ……どうしたの?」

風の音にまぎれて、彼の声がかすかに返ってきた。

「……あのときも、こうだった気がする。何か、大きなものが……、すごく静かに、消えていったんだ……」

その言葉の意味はわからなかったが、アイアイには、グリグリの中にある”何か”が、今まさに疼いているのだとわかった。

だが「あのとき」という言葉は今まで何度も聞いた言葉だ。アイアイには「あのとき」の記憶はないが、グリグリにはあるのだろうか。いずれにせよ「この空間の違和感」が、今まで何度も言い聞かされてきた「あのとき」に起因するのなら、アイアイにも納得ができそうだった。

猫族の使者は、いつの間にか岩壁の下にある階段のようなものを指し示していた。
「続きは、あちらでご覧ください」

そう言ったときの声は、それまでよりも少しだけ低かった。アイアイは足を進めた。グリグリも、それに続いた。

暗がりの下へと向かう階段は、長く、深く続いていた。  その先に、王も、コリクも口にしなかった“何か”が、静かに眠っているような気がしてならなかった。

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階段の先は、しっとりとした冷気に包まれていた。 かすかに湿った空気。地の底から立ち上るような、土とも金属ともつかぬにおい。

石の壁には苔のようなものが浮かび、ところどころ古びた灯りが等間隔に取り付けられていたが、どれも消えていた。

猫族の使者が片手でふれると、その灯りが一つ、また一つと、ゆっくりとともっていった。

やがて、ひらけた空間に出た。壁一面に古い端末が並び、その多くは壊れているか、ひどくひび割れていた。床には、砕けた記録媒体や石板のかけらが散乱している。

「ここは……なに?」

アイアイがたずねると、猫族の使者は端末のひとつに指を伸ばし、軽く叩いた。
「記録室、のようなものでした。以前は。今はもう……誰も管理していませんけれど」

端末の一つが、かすかに光を放った。ノイズ混じりの音声が、断続的に再生された。
「……トロトロット……公国軍……住民データ……一部消失……避難誘導……記録未完……」

アイアイは凍りついた。

トロトロット公国──あの夜、村を襲った兵たちが名乗っていた名前。

「これ……これって……!」

そのとき、もう一台の端末が、ひとりでに作動を始めた。  
画面がちらつき、文字が走る。

『観測記録:アルンデスカイ領域との交信試行ログ』

その中に、アイアイは、ある名前を見つけた。

『アイル』

一瞬、空気が変わった気がした。 グリグリが、なにかに反応するように顔を上げた。  
その目は、どこか怯えたようであり、懐かしさを宿しているようでもあった。

「……見たことがある。……でも、いつだっけ……」

グリグリが口にしたその声は、自分に言い聞かせるような、壊れそうな声だった。

アイアイはそっとグリグリの腕に手を添えた。
「大丈夫。無理に思い出さなくてもいいよ。でも……アイルって、あの、アイル……なのかな。。」
アイアイの声が、ほんのわずか震えていた。

その後、アイアイははっきりと告げた。
「アイルは……母の名です」

猫族の使者は、一拍置いて、まばたきもせずに言った。
「……そうですか。それは、まあ……同名ということも、ありますからね」

その声は、あまりにも静かで、表情も変わらなかった。 まるで、予想外の答えを受け流すためにだけ用意された“定型”のようだった。

だが、その無機質な一言が、かえってアイアイの中に重く沈んだ。

その言葉が空気に落ちたとたん、グリグリの顔色が変わった。
まるで音のない鐘が、胸の中で鳴り響いたような表情だった。

猫族の使者は何も言わなかった。
ただ、部屋の奥にある、もうひとつの重たい扉を、じっと見つめていた。

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