その姿は、ゆっくりと近づいてきた。
空の高みから、まるで滑空するかのように。ゆっくりと翼を羽ばたきながら。
アイアイはその異様な静けさに、息を呑んだ。
ドラゴン──その巨大な影が彼らの上空でぴたりと静止したとき、風が一気に冷たくなった。
グリグリが、にじり寄るようにアイアイの肩に隠れる。
逃げ出そうとはしているようだが、体がこわばり動けなくなったようだ。
「これ、これこれこれここれこれこれれれれれれれ・・ヤバいんじゃない……?」
「……本物、だよね?」
アイアイのつぶやきに、猫の使者がわずかに首を振る。
「断定はできません。ああいった存在は、記録に残されていたりしますが……文献の中でしか私も…冗談のつもりだったんですが…」
目の前のドラゴンの存在感は圧倒的だった。重み、気配、空気の質までもが変わっていた。
もう逃げたところで、結果は変わらなそうな位置まで詰められてしまったのだ。
ドラゴンは声を発さなかった。だがその双眼が、確かに三人を見つめていた。
金色の眼差しが、まるで心の奥を覗き込むように──。
アイアイは思わず、背負った荷物に手をやった。そこには、さきほど手に入れた“鍵”がある。
そのとき、鍵の装置がわずかに反応したように、かすかに震えた。
ドラゴンが、ほんのわずかに首を傾けた。
そして──
ゆっくりと、降下を始めた。
ゆっくりと羽ばたく翼で、静かに、まるで重力そのものに逆らうかのように。
地面すれすれまで降りてきたドラゴンは、その場にふわりと静止した。
そして、口を開いた。
「カギヲ、モツモノ……」
それは低く、古代の魔法のような響きだった。

グリグリが小さく叫ぶ。
「しゃ、しゃべった……べった、しゃべ!」
ドラゴンはもう一言だけ、ゆっくりと重々しく言葉を紡いだ。
「マエニ、ススムナラバ──シレンヲ、コエヨ」
ドラゴンの口から放たれた重厚な響きが三人の服を、鼓膜を、肌を、震わせた。
──沈黙。三人はドラゴンをみつめ思考を回転させている。
試練、シレン、しれん。ドラゴンの放ったものが、咆哮でも、炎でなく一応の安心を得た三人だったが、今なお緊張し、慎重に返す言葉を思考し続けた。
ほんの数秒のことだったが、三人にとっては「永遠」の中に閉じ込められたような時間だった。
その時間に耐えられなくなったのか、涙目のグリグリが「ひぃ」と短く口から漏らしてしまった。
次の瞬間、ドラゴンのその巨大な口元がふるふると震え
──続けてドラゴンが言い放った。
「……って感じのこと、言ってみたかったんだよね〜!どう?カッコよかった?」
声が一変した。
張りつめていた空気が、一瞬でどこか間の抜けたものに変わる。
ドラゴンはぱたぱたと前足を地面に下ろすと、どこか得意げな調子で続けた。
「ずっとああいう“試練の門番”的なやつ?、やってみたくてさ!セリフ考えて練習してたんだよね〜」
三人は、完全に口を閉ざしたまま呆然としていた。およそ、ドラゴンの口から出ていいはずのない軽い口調が三人の思考を完全にとめてしまっていた。
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しばらくの沈黙のあと、グリグリがそっと口を開いた。
「……あの、あなたは……なにをするドラゴンさんなんですか?」
グリグリの「ドラゴンさん」という言葉に吹き出しそうになったアイアイだが、ドラゴンの姿を見直し、変わらぬ「見た目の脅威」で笑いは喉の奥へ自然と引っ込んだ。
ドラゴンは首を傾け、まぶたを半分閉じてから、すっと伸びをした。
「んーとねぇ、いちおう“試練を与える側”って設定なんだけどさ、正直あんま細かいことは決まってないんだよね〜」
「設定?」とアイアイ。
「そ。なんか、上から“おまえはここでそれっぽく登場して、試練っぽいこと言っといて”って言われてさ〜。でも内容とかぜんっぜん聞いてないのよ」
猫の使者が思わず口を挟んだ。
「“上”というのは、誰の指示で……?」
ドラゴンは羽根をぱたぱたさせながら、はぐらかすように空を見上げた。
「え〜っとぉ……まあ、いろいろ大人の事情ってやつ? あ、でもあんたたちが鍵を持ってるってのは、本当なんだよね?」
アイアイが荷物からそっと鍵の装置を取り出すと、それを見たドラゴンは、ぐっと顔を近づけてきた。

「うわ、本物だ〜!すごいねこれ。実物見るの、初めてかも!」
近づきすぎてグリグリが反射的に飛びのいた。
「ち、近いってば……!」
ドラゴンは悪びれもせず、「ごめんごめん、つい」と舌を出した。
おどけて出された舌は、グリグリの頭ほどのサイズがあり、アイアイはゾッとした。
そして、ドラゴンはほんの少しだけ声を落として言った。
「でもさ、本当に進むつもりなんだよね? だったら、ほんとに“何か”はあると思うよ。シレンかどうかは別としてさ」
そのとき、アイアイの胸の奥で、ぼんやりとだが何かがひっかかった。試練という言葉。鍵の重み。そして、いま目の前でくるくる表情を変えるこのドラゴンの、底知れなさ。
空気がまた、少し重たくなった。
「じゃあ……この先に行くためには、何をすれば?」とアイアイが問う。
ドラゴンは、少しだけ真面目な顔になると、くるりと一回転しながら空を見上げ、
「ま、そこは君たち次第ってことで!」と軽くはぐらかす。
アイアイは眉をひそめた。
「つまり、決まってないってこと?」
「それも含めて、試されてるってことかもね〜」とドラゴンは笑う。
その軽さの裏に、何かがある気もするし、本当に何もない気もしてアイアイは、、、なんだか嫌気がした。。。
「あなた、名前は?」と尋ねると、ドラゴンは一拍おいて、にかっと笑った。
「おれ?ぼく?ぼくっち?うーん名前? えっと……じゃあさ、キミたちが決めてよ!」
3人が一様に戸惑っていると、いたずらっぽく笑いながらドラゴンは言った。
「冗談冗談。ちゃんと名前はあるよ〜。ぼくの名前はツヴェイ。アイルからの使者だよ。」


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